三坂 知絵子 さん
旭陵同窓会のみなさま、こんにちは。73期の三坂知絵子と申します。グリーンモールのはしっこ、上条交差点にある三坂米穀店の姪っ子で、父は林兼産業に勤めていました。というわけで生粋の下関っ娘ですが、下関西高校を卒業後、早稲田大学第一文学部演劇映像専修、東京大学大学院で環境学修士を取得し、現在は主に東京で映画・舞台を中心に女優の仕事をしております。西高にいた頃は、部活はもちろん演劇部、放課後はグランドで発声練習をしてからピロティで文化祭や地区大会に向けて稽古、土日は下関市民ミュージカルの会の稽古。あれ、勉強いつやってたっけ?というような毎日でした。今も毎日稽古場に通っては発声ストレッチ歌って踊って稽古、稽古、稽古、映画撮影だ、リハーサルだ、舞台上演だといっては東京、大阪、福岡、フランス、ドイツなどあっちこっちへ……と考えると、私は高校の時からやってることは全然変わってないなぁ、と驚くやらあきれるやら。それでも、やりたかったことをやっているわけですから、本当に楽しく、わくわくする毎日です。
大学進学をきっかけに東京に出てきて12年になりますが、ここ数年、下関に関わるお仕事をする機会にたくさん恵まれ、とてもうれしいです。
まず、佐々部清監督との出逢いに感謝しています。ある映画祭で「チルソクの夏」が上映されたとき、私も別の映画の関係でその映画祭に参加しており、佐々部監督と知り合うことができました。「カーテンコール」では私はヒロイン伊藤歩さんの同僚役を演じています。クランクイン前、佐々部監督と一緒に登場人物たちのセリフを下関の方言でしゃべってテープに吹き込むという作業をしたことがとても印象に残っています。下関弁というのはセリフにしてしゃべるとなかなか難しいんだなあ、と思いました。普段、地元の友達と電話で話す時などは、なんにも気にしなくてもすらすらと下関弁が口から出てくるのですが(笑)。
次に、「少女には向かない職業」というドラマの撮影で下関に行きました。自分の出番ももちろんあったのですが、なにより下関で長期ロケということがうれしくて、ほとんど毎日撮影現場に行っていました。
そして昨秋、奥田瑛二監督のオール下関ロケの映画「風の外側」に出演し、同時に方言指導として全ての撮影に参加させていただきました。奥田瑛二さんとは、以前、中原俊監督の映画「でらしね」で共演させていただいたことがありました(私は奥田さん演じる画家の絵のモデルの役でした)。「風の外側」では、まず、クランクイン前に監督からシナリオを渡され、「これを全て下関の言葉に書きかえてほしい」と言われました。私は「本当に下関に住んでいる人間が話すようにセリフをなおしたら、もしかしたら東京のお客さんが映画を見たときに意味がわからない部分が出てくる可能性があります。軽く語尾にニュアンスを付け加えるだけにしましょうか」と監督に尋ねました。すると監督は、「とにかくリアルにしてほしい。そのままの下関弁で構わない。たとえ細かい言葉の意味が分からないところがあっても、芝居でじゅうぶん伝わるから大丈夫だ」とおっしゃられました。俳優のことを全面的に信頼してらっしゃるんだな、と思い、感激しました。よぅし、監督がそうおっしゃられるなら!と、私も気合いを入れて、徹底的にセリフをなおしました。下関弁に書き換えられたシナリオが印刷され、スタッフやキャストに配られると、みんなから「字面だけ読むと何が何やら分からない」とか「これは日本語?」とか言われました(笑)。俳優の方々にも下関弁を吹き込んだテープをお渡ししたのですが、「関西弁でもなく、九州の言葉とも違う。これは難しい!」とみなさん口々におっしゃられました。現場で急に下関弁のセリフを考えることもしょっちゅうでした。たとえば「二人で話しながら外に出てくる」というようなト書きのシーンでは、その会話の中身まではいちいちシナリオに書いてありません。ですので、現場で奥田監督から「おーい、三坂!『もう大変だよ』っていう気持ちのときには下関弁で何て言うんだー?」と聞かれ、パッと「『わやじゃー』です!」というふうに答えなくてはなりません。一瞬たりとも気を抜けませんが、そのぶん非常に刺激的で、本当に面白い現場でした。撮影場所も、梅光女学院高校や海峡メッセ、唐戸の魚市場や港、彦島の造船所跡地など様々で、特に、グリーンモールや長門市場など私が子どものころからしょっちゅう走り回っていた大好きな場所でたくさんロケが行われ、とてもうれしかったです。
映画「風の外側」は、今年の秋に山口県内と小倉で先行公開される予定だと聞いております。ですから、秋には私も下関に帰って、いっぱい宣伝してまわりたいと思っています。奥田監督らしい、本当に素晴らしい映画ですので、たくさんの方に見ていただきたいです(私の出演シーンもお見逃しなく!借金漬けのOL役を演じております)。
私は現在、8月23日から26日まで新宿の紀伊國屋ホールで上演される「寺山修司 ― 過激なる疾走 ― 」という舞台の稽古のまっさい中です。演劇・映画・文学・思想など様々な分野で世界的に活躍された寺山修司さんの生涯を描いたこの舞台で、私は出演と、ダンスの振付を手がけております。紀伊國屋ホールという大変歴史のある大きな劇場で、「暗黒の宝塚」という異名を持つ劇団、月蝕歌劇団の10代20代を中心とした40人以上のメンバーが所狭しと歌い、踊り、芝居します。他では絶対に見ることのできない独自の世界だと思います。ぜひ劇場でお会いできましたらうれしいです!
9月末には、私の主演映画「愛に飢えた獣たち」と主演舞台「コンテナ」の同時公演があります。舞台「コンテナ」では、生まれて初めて自分自身で作・演出を行います。不安もありますが、それ以上に「面白そう!チャレンジしてみたい!」という気持ちが強いです。今、ウンウンうなりながら戯曲の推敲を重ねているところです。
今年の8月でちょうど30歳になりました。14歳、中学生の時に下関のタウン誌で探した地元の劇団に入ってお芝居を始め、高校生になって演劇部と市民ミュージカルの会の稽古の日々、上京したその日のうちに早稲田の学生劇団に入り、いろんな方との出逢いに恵まれて……気がつけばすでに人生の半分は芝居漬け。今は毎日楽しく女優のお仕事をさせていただいております。