■第21期(昭和20年卒)
 池田治郷氏

 海峡感想

 昨年秋、久方ぶりに下関を訪問し、さびしい、きたない下関から、美しい、よく手入れをされた下関に変化しているのを見て大変喜ばしく思いました。
 この機会に郷土下関について私達の知っているつもりの知識を整理してみるため、クイズを出してみたいと思います。
 半分以上の正解を希望いたしております。

<人物>……下関と関係のある人々
毛利輝元   伊藤博文   久坂玄瑞   大久保利通   李 鴻章
高杉晋作   乃木大将   宮本武蔵   佐々木小次郎  安徳天皇
二位尼    藤原義江   田中絹代   木暮実千代   林芙美子
中部銀治郎  狩野芳涯   七郷落ち

<学校>……戦前の入学難易度順は?
男 関中       女 高女
  下商         梅光
  豊中

<場所>
山陽ホテル  山陽百貨店  旧下関駅(山陽線終点)   関山ガーデン
練兵場    側侯所    水上警察署  下関監獄   前田砲台
功山寺    口分寺    幽霊寺    満珠島    干珠島
舟島     六連島    蓋島     関釜連絡船  麗水航路
平家一門の墓 耳なし芳一

<その他>
・関門海峡にトンネルは何本あるか?   ・「庭に1本 棗(なつめ)の木」
・巌流島の戦い宮本武蔵は何才?     ・佐々木小次郎は何才?
・佐々木小次郎のグリップ?       ・下関の「国宝」は何?
・市電(山電)はどこを走つていたか?  ・源平合戦の概要説明
・海峡の潮の流れは…
 スピードは?
 1目何回変わるか?
 海峡の巾は?

本稿は昨秋、福岡市で開催された「日本監査役協会全国大会」に出席し、下関を訪問した時に、皆様にお話ししたものです。

平成16年2月26日
第21期(関中昭和20年卒)海峡大使   池田治郷

■第49期(昭和47年卒)
 佐々木 龍彦

 旭陵同窓会 東京支部の皆さんお元気ですか。私は東京支部の会員ですが、実はこの原稿を下関で書いています。長年勤めた民間金融機関から政府系金融機関に移って、初めての地方勤務地が郷里の下関となりました。これまでの勤務地が東京都内だけの私にとって高校卒業以来の郷里です。

 かつて「故郷は遠くにありて思うもの」と歌人は詠みましたが、久しぶりの故郷で、その素晴らしさを満喫しています。東京では海のない多摩地区に住んでいたせいもあり、久しくみる関門海峡の潮の満ち引き、流れの速さ、行き交う船の多さなどその美しさには感動さえ覚えます。

 また、友人との再開も格別です。西高時代は当然として、文関小学校、日新中学校、はたまた陸上部時代の他校ライバル、明の星幼稚園時代の友人もいます。仕事柄、先輩・後輩にも数多くお会いします。不思議に容貌、体型は変わっていても、再会して1時間もすれば、「ぜんぜん昔と変わってないね」言う言葉に代わり郷愁が込み上げてきます。

 東京時代に始めたランニングを下関でも開始しました。現在居住している長府から関門海峡人道を経由しても門司港駅前まで走るのが休日の日課ですが、走り抜ける長府城下町の町並み、関門海峡の潮の香り、海風の心地よさは表現しようがありません。山口県内にも数多くのランニング愛好のための大会があるようですので、そこへの出場が今年の目標です。まずは、1月の城下町長府マラソンを走り終え、次は3月の秋吉台カルスト高原マラソンです。

 残り1年半くらいの下関勤務だと思いますが、両親(今年83才になる母は日新・勝山・名陵中学の美術・国語教師でした)も元気ですので、親孝行しながら郷里の生活を楽しみたいと思っています。

■第48期(昭和46年卒)
 浜崎 裕子(旧姓・藤田)

 「昔の女生徒はいい意味で恐ろしかった」という松村さんの一言で、48期生女子の中でも特に威勢のよかった私に原稿依頼がきたようです。先生に食ってかかるほど勉強熱心ではありませんでしたが、天真爛漫、悩み知らずで、「そこどけ、そこどけYUKOが通る!」というくらいの元気はあったかなと思います。大阪暮らしを後にし「博多の女」になって25年。今一番情熱を傾けているのはNPO“笑顔”の理事としてのまちづくり活動で、心優しきスマイルレディーになっています(ホント)。建築・都市計画の仕事をしていましたが、平成になって高齢者福祉の分野に関わり痴呆性高齢者の環境デザインに関する訳本を2冊出版しています。よければインターネットで浜崎裕子を検索してください。今や痴呆ケアの専門家。皆さん呆けたと感じたらご相談ください。

 一昨年、山口女性財団が山口県出身の県外で活躍している女性を集めてシンポジュウムをしたときに何故か呼ばれ、急に山口県民を意識するようになりました。昨年は『長州女ここにあり』のビデオ収録もあり、山口大学で『ジェンダーとまちづくり』という講演もしました。やはり故郷はいいものですね。

 私も50歳になり、何か一歩を踏み出したいと思っていたところ、運良く長崎国際大学人間社会学部の専任教員に採用され、4月から大学での研究・教育を主な仕事とするようになります。我が子のような学生を相手にして、また若返りそうです。