有田 卓也 先生

1.西高在職期間
 昭和41年4月から昭和51年3月まで

2.在職時の思い出
 昔の下関の思い出と重なるのです。電車が走っていた。幡生駅には蒸気機関車が猛然と煙を出していた。
 古いコンクリートの校舎。外から見るのと違って西高は、生徒は個性的で、がりがり亡者はいなくて、素直だった。女の子が少ないのも貴重であった。
 教師も個性的にならざるを得ない。あれほどの生徒に対するのだから。

3.下関西高後の勤務先
 田部高校 教諭、防府養護学校 高等部主事、山口高校 定時制教頭、
 県教委指導課 主査、課長補佐、西市高校 校長、豊浦高校 校長
 公立退職後は、
 山口県 県史編纂室嘱託、下関国際高校 校長
 現在は、フリー

4.総会参加の感想・近況
 幹部のスピーチは日本的、下関的だと思いました。
 東京支部の当番幹事の熱気はすごいと思いました。
 二次会で盛り上がりました。有難うございました。